2008年12月11日木曜日

福島清画伯の連載エッセイ「渚と街角の神話」(つづき)

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


12月1日付の中国新聞朝刊に続き、12月8日付の同紙に「哀愁の風音」というタイトルのエッセイと絵が掲載されました。
サブタイトルは「備前陶の父子を追慕」、福島清画伯の文章とボールペンによる絵。
取材場所は岡山県立美術館。
以下、記事からの抜粋。
「やがて会場は聴衆で埋められ、備前花器の陳列ケースを背にして藤原父子へ捧げる作品から始まった演奏は、その第一音から
宏大な沃野(よくや:パンパ)を従えた夜のブエノスアイレスの街角へ私を引き込んだ。それは訪れたことのない故郷への憧れのような文学性までを感じさせるものだった。
頻繁に演奏中に弁を開き、取り入れた空気を放出するときに生じる蛇腹の襞の摩擦音や衝突音は、タンゴを踊る男女の身体の激しい風切り音のようだった。あるいはリングサイドで聞くボクサーの息づかいやカンバスを擦過するリングシューズの音のようでもあり、まさに楽器による拳闘(ボクシング)のようだった。
そして演奏家よりも早くに長逝してしまった藤原父子への追慕の泪を伴った哀愁の風音が、やがて太古の祭器のような備前花器をも巻き込んで室内を満たすのであった。」

2008年12月8日月曜日

東広島市安芸津町でのソロ・演奏

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


「Live Stage スガンディ」という店の1周年記念日を翌日に控えた12月6日の夕方、佐川峯さんのソロ演奏会がありました。
特に寒い日でしたが定員40名ぐらいの店が満員の盛況。
テレビ局の取材カメラも入り、演奏が始まる前から盛り上がった雰囲気でした。
客席から手を伸ばせばバンドネオンに触れそうな近さでの演奏、まるでホーム・パーティーのようでした。
「水色のワルツ」、「青空」、「バンドネオンのなげき」とかこの1年間に聴いたことのない曲のリクエストが続出。
「青空ねーっ、楽譜を持ってきたかな。ありました。うーん、持ってくるのではなかったなあ」とか、「曇り空」になるかもしれないけど、といわれながら、弾かれはじめるとリクエストした人が「それです、それです」と喜ばれたり。
笑いに満ちた幸せな夕べでした。



2008年12月2日火曜日

四国松山での演奏

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」



11月26日、松山道後温泉で演奏中の佐川峯さん。
今日は12月2日。
あと22日で満89歳、来年は卆寿を迎えられます。
「ラ・クンパルシータ」に始まりジャズの「ブルー・プレリュード」、「夜霧のしのび逢い」、「小雨降る径」などの熱演、素晴らしかったです。

福島清画伯の連載エッセイ「渚と街角の神話」

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


12月1日付の中国新聞朝刊に「バンドネオン」というタイトルのエッセイと絵が掲載されました。
サブタイトルは「昭和と歩んだ老奏者」。
バンドネオンの素敵な水彩画がモノクロで載っています。

<以下、記事より抜粋>
「備前陶を代表する藤原啓・雄父子の回顧展が岡山県立美術館で催され、父子と親交のあった広島のバンドネオン奏者が演じると聞いて岡山へ来た。」
「さらば我が草原よ(アディオス・パンパ・ミァ)の作曲者マリアノ・モレスとの共演。
李香蘭、淡谷のり子、ディック・ミネのための伴奏や、戦前の上海租界でのバンド活動などがあると聞く、その人生は昭和の歴史そのものである。」
「藤原啓に捧げた「炎のように」、雄の依頼で作曲した「二つの壷」も演目に入っているという会場を訪れて、まずは父子の備前陶の作品を鑑賞する。
やがて定刻に現れたダークスーツに痩身を包んだ白髪頭の物静かな老人は、画家の予想をはるかに凌いでバンドネオンという楽器を熱情的な夜の底で奏でるために生まれてきたような風貌だった。」

NHK杯エキシビション:浅田真央、再び「タンゴ」で舞う

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


NHK杯に優勝しGPファイナル出場を手にした浅田真央のエキシビションの曲はフランスGPに続き「タンゴ」だったのが嬉しいです。
「ポル・ウナ・カベーサ」のみ表示され、2曲目の「パジャドラ」の曲名が表示されなかったけど赤と黒の衣装がぴったりの「タンゴ」、よかったなあ。
浅田真央のエキシビション
NHKの映像で演技とタンゴをお楽しみください。

2008年11月17日月曜日

浅田真央:フランス大会エキシビションはタンゴ曲だった

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」



フランス大会はフィギュアスケート男子も女子も堂々の2位。
浅田真央のNHK杯に期待しましょう。
嬉しいニュースは真央のエキシビションの音楽はタンゴ曲だったこと。

「グランプリシリーズ第4戦・仏杯_成績上位者らによるエキシビションで演技する浅田真央。女子2位だった浅田は、タンゴの曲に乗って華麗な演技。ジャンプやつま先を使った小刻みなステップでも沸かせた(フランス・パリ)【EPA=時事】」

「タンゴ」と聞いて嬉しくなりました。

前半はカルロス・ガルデル(Carlos Gardel:作曲家、歌手、俳優)による1935年のタンゴ(アルフレッド・レ・ペラ(Alfred Le Pera)との共作)の「ポル・ウナ・カベーサ(Por Una Cabeza:首(頭)の差で」)
僅かの差で負けた競走馬をひきあいに恋の駆け引きに僅かの差で破れた男の心境が描かれているんだって。
NHK杯では半馬身差で優勝してエキシビションでは赤と黒の衣装にぴったりのタンゴにのった氷上の舞が見たいですねえ。

後半は「パジャドラ(Payadora)」。
アルゼンチンのバンドネオン奏者フリアン・プラザ(Julian Plaza 1928-2003)によるタンゴ曲。

2曲とも上記二つのサイトのYouTubeで視聴できます。バンドネオンの演奏振りも見れます。
「パジャドラ」の演奏者、カッコ良く歳を重ねてきた人たちばかりですね。タンゴのお陰かなあ。

2008年10月10日金曜日

広島「ゲバントホール」でコンサートが開催されました

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」



10月5日(日)午後4時から「グラウンド・ゼロ」(原爆ドーム)の近くにある「ゲバントホール」で佐川峯さんのバンドネオン・ソロ・コンサートが開催されました。今回は、ピアニスト津川のり子さんの特別賛助出演を得て、楽しい共演や演出もあり雨天にもかかわらず来場された220名ぐらいのお客様は秋の夕べにふさわしい楽しくて心が洗われるような時間を過ごされました。
(ファン・サイトの「NEWS」のページをご覧ください。)

ギャラリーコンサート(つづき)

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」





ファン・サイトのNEWSが更新され、岡山県立美術館でのギャラリーコンサートについての記載が消されたので、以下にコピペします。

2008年8月22日(金)午後5時から約1時間、佐川峯さんのソロによるギャラリー・コンサートが岡山県立美術館で開催されました。
7月18日(金)〜8月24日(日)の期間行われている「藤原啓・雄父子展」でのコンサート。「炎のように」と「二つの壷」が啓先生、雄先生のふるさと岡山で演奏されるのは初めてでした。
佐川峯さんが敬愛されていた啓先生、大の親友であった雄先生の作品に囲まれたギャラリーでの演奏、大盛況でした。

8月23日付の山陽新聞記事からの抜粋:
詰め掛けた聴衆を前に「演奏で二人をしのびたい」と涙を流した。最初に披露したのは、啓さんの作陶への情熱と窯の炎を勇ましく表現した「炎のように」。続く「二つの壷」は「夜中に壷が人生や愛を語り合う光景を」という雄さんの依頼に応えて書いた緩急自在な曲。ほかにも「夜明け」など二人が好きだった名曲を約一時間にわたって歯切れ良く弾いた。
訪れたファンらは、備前焼とタンゴの"共演"を楽しみ、おおらかで力強い藤原作品の魅力をあらためてかみ締めていた。

2008年9月14日日曜日

ギャラリーコンサートのポスター

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」



岡山県立美術館の入口で見かけたカッコいいポスターです。(写真は床に置いて撮したものです。)
美術館の方が制作されたとのこと。
色づかいや全体のデザイン、そしてテキストもいいなあと感心してます。
そして、「本日」限りのポスターというのもいいですね。

2008年9月3日水曜日

岡山県立美術館 備前焼人間国宝藤原啓・雄父子展

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」



藤原啓先生に佐川峯さんが贈られたタンゴ曲「炎のように」、雄先生に依頼されて作曲された「二つの壷」の演奏で始まったバンドネオン・ソロ演奏。27年間の親交があった雄先生、2年間のお付き合いだった啓先生の作品300数点が展示された美術館での演奏。お二人の写真や作品に見守られての演奏、佐川峯さんにとり、涙もありましたが、きっと、お幸せな時間だったことと思います。
特別展が始まって10日以上経ってからのお願いにも拘わらずギャラリーコンサート開催を快諾してくださった山陽新聞社と美術館、花束まで準備してくださったご配慮、取材に来ていただいた山陽新聞の記者の方、花束贈呈のあとで「もう一曲ひいてくださ〜い」という元気な女性の声、リクエストの多さ・・・本当に素敵な夏の夕べでした。(2008年8月22日)

6月28日:ゲバントホールでの演奏会

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」




シャンソン歌手日高摩梨さんの「タンゴ」に聴き惚れたあとは司会者(「あきもんた」さん)も交えて、気心の知れた人たち同士の楽しい会話。


お客様、「あきもんた」さん、日高摩梨さんと佐川峯さんの四者会談。

2008年9月2日火曜日

広島でのコンサートのチラシです

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」



佐川峯をリーダーとする6人編成のタンゴ演奏で限定版LPが制作された際に、備前焼人間国宝 藤原雄先生が贈られた言葉がLP(アルバムタイトル:「炎のように」)のジャケットに印刷されています。その一部です。

「魂のバンドネオン
あまりにも甘く、あまりにも哀しく、そしてあまりにも激しいバンドネオンのひびき。
そんなバンドネオンを思いっきり一人で弾ける演奏家は佐川峯先生をおいてほかに日本中誰もいないと私は信じている。」

10月5日(広島)の演奏会は佐川峯さんが「一人で思いっきり弾く」バンドネオン・ソロ演奏です。

タンゴと言えば「アルゼンチン・タンゴ」→「ラ・クンパルシータ」というのが常識でしょう。
これらのコンサートではこれが百点満点の常識ではないという楽しい体験をされることでしょう。
「エッ、こんな国々にも「タンゴ」があるんだ」と。

ジャズ演奏の途中に入る「ドラム・ソロ」や「ベース・ソロ」、楽しいですね。
でも、ドラム・ソロ演奏会とかベース・ソロ演奏会には馴染みがないですね。
バンドネオンもソロ演奏に適した楽器ではないのだそうです。
それをしましょうという佐川峯さん、是非、会場で真偽のほどを確認されては如何でしょう。

ソロ演奏をする人がほとんどいないのであれば、楽譜探しはどうするんでしょう。
佐川峯さんは自分でソロ用に編曲します。
ヴァイオリン、ピアノとのトリオ演奏の際には、バンドネオンだけでなく、ヴァイオリンとピアノの楽譜も佐川峯さんが書きます。
ピアノ科出身なのでピアノはいいとしてもヴァイオリンはどうやって音を確かめるんですか、と尋ねたことがあります。
「ヴァイオリンもピアノもバンドネオンで音を確かめます」との答えには驚きました。

曲と曲の間のMC,楽しみなものですね。東京下町育ちの佐川峯さん、音楽学校を卒業後、21歳で中国・大連でプロ入り、李香蘭(山口淑子元参議院議員)20歳の大スターのバンドメンバーとして満州ツアー、その後、上海、東京、博多を経て広島に住んで30有余年、まだ、東京アクセントが抜けません。
「しろしま」というのは「ひろしま(広島)」のことです。

平成20年10月5日(日)に広島市のゲバントホールで開催される佐川峯バンドネオン・ソロ演奏会のチラシです。ピアニストの津川のり子さんが特別賛助出演されます。

2008年7月4日金曜日

幸せです

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


佐川峯さん作曲のタンゴ5曲が聴けます。





バンドネオンを弾いているときが「しあわせ」な佐川峯さん。
笑顔がいいですねえ。

2008年6月9日月曜日

佐川峯さん:タンゴの本場で卒寿公演



「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


2009年秋、「卆寿」でアルゼンチン・ブエノスアイレスでバンドネオン演奏。
素晴らしい記事が出ましたねー。
ファンとしては嬉しくて仕方がありません。
一番バッター初回ホームランで記事がはじまります。

「あたし、今のところ、死ぬ予定はありませんから」の一言で聴衆がどよめき、「九十歳で引退するのをやめ、九十歳でスタートすることにしました」の一言に拍手がわく。予定の一時間を過ぎてなお弾こうとすると、すかさず花束贈呈。誰か止めなきゃ、この日の幕は下りない。
<中略>
十五歳の時、銀座で聞いたバンドネオンのとりこになり、「クラシック以外は退学処分」という音楽学校では隠れて練習した。二十一歳で大連に渡り、バンドに参加してプロの道へ。
<中略>
映画史、芸能史に残るスターたちとの逸話は数々ある。駆出し時代に「満州映画協会」のスター李香蘭の巡業に参加。「彼女が山口淑子(元参議院議員)という女優だと、戦後知ったんだよ」
「ブルースの女王」故淡谷のり子とも因縁めいた話がある。
戦前、大連で「坊や、私のバンドで弾いて」と誘われたが、一方で恩人には上海に誘われ、戦後、東京で偶然出会った淡谷に「坊や、約束を破ったわね」としかられた。今も人生の苦い教訓にしている。
<中略>
「佐川先生はきっと光を失い、力つき、死の直前までバンドネオンを離すことなく、(中略)ジャバラがひきちぎられ、床にひらひら舞い落ちてゆくまでバンドネオンを引き続けると思う」
かつてLPアルバムに備前焼作家の藤原雄さんから送られた一文だ。


ファンとしては「永久保存版」の記事です。

2008年4月30日水曜日

バンドネオンの音源を見たことある?




「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


ハーモニカの原理だね、と誰かが言っていました。

小さな金属の板と同じ成分の金属は現代の技術でも作ることができていないと聴き、「ピラミッドの不思議」の話を聴いているような気持ちになりました。

80年、90年前に作られたバンドネオンの名器と同じレベルのバンドネオンを開発して欲しいものです。

バンドネオンの中を見たことある?



「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


キーが並んだプレートを外すと木の枠と紙製のジャバラが見えます。
バンドネオンの魅力的な音がシンプルな空洞から出てくるのが不思議な気がします。

2008年4月1日火曜日

佐川峯さんお気に入りのBar Sur

「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


佐川峯さんがピアノの立光映二(たてご えいじ)さん、歌手のエンリケ岩尾さんとブエノス・アイレスのBar Surやイタリアーノ、ラ・クンパルシータなどで演奏されたことがHPで紹介されています。
検索したらBar Surのサイトが見つかりました。
“BAR SUR” Tango Dance Show
1967年に開店し、2007年が40周年だったそうでサイトを開くとEl Choclo(とうもろこし:アメリカで歌詞をつけて"Kiss of Fire"という曲にしルイ・アームストロングなどが歌った)の切れ味のいい演奏がずっと流れます。

2007年にBar Surを訪れた人のブログによれば
「こじんまりした店内で、ダンサーを間近に見ることができて・・・かなり感激!そして、男女共にかっこいいダンサー。。。。女性の身体が鍛えぬかれていることに感動。足や背中の筋肉がすごい。いかに、タンゴが激しいスポーツかを知った。」
「150ペソ(約50ドル)で、シャンパン1杯付。時間は無制限。」
「石畳の通りにある、本当に素敵なBar Surでした。」

2009年秋、佐川峯さんに再びBar Surで演奏して欲しいですねー。

2008年3月29日土曜日

ボタンだらけのバンドネオン


「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


佐川峯さん愛用のバンドネオン。
こんなに多いボタンが両側につけられ、一つの音を出すのに二つとか三つとかのボタンを押さえ、ジャバラを伸ばす時と縮める時とで違う音が出るそうです。
パソコンのwordでも打ち間違えばかりなのに・・・と、感心&気が遠くなりそう。
佐川峯さんのステージでのお話だと「こんな楽器を作った人は一体どんな思考をする人だったのかと思います。複雑すぎてバンドネオンを途中であきらめた人がいましたよ」と。
そんなバンドネオンと16才からずーっと一緒の佐川峯さん。
心身共に元気で若々しくなくては付き合いきれない楽器だし、楽器と奏者が互いに良い刺激を与え合っているのではと想像しています。

2008年3月28日金曜日

2008年最初のコンサート


「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」
ヴァイオリンの上野眞樹さんのコンサートにトリオ・ロス・エンバハドーレスが賛助出演された2月8日が2008年最初の佐川峯さんの演奏でした。
教会が会場で音楽に全く詳しくない私にとっては音響効果が良く、壇上で演奏される佐川峯さんとバンドネオンの動きを見上げる形だったのが新鮮でした。
会場の後のドアからバンドネオン片手に颯爽と登場された佐川峯さんに来場者がどよめきました。
ホントに「米寿?」、のささやきが聞こえてくるようでした。
一曲目が終わったときの拍手、感動・・・でしたねー。

佐川峯さんのファン・サイト掲載の案内カード



「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」

2008年3月15日のトリオ・ロス・エンバハドーレス(タンゴの使節)演奏会でもらった案内カードです。
写真は2008年最初の演奏会でのリハーサル中の佐川峯さんです。
来年はアルゼンチン→日本(東京→神戸→博多→広島)でコンサート・ツアー。
アルゼンチンの一流タンゴ演奏家から友情出演の申し出もきているとか。
これこそタンゴ、これこそバンドネオン・・・という演奏を多くの人たちに聴いていただきたいというのが一ファンの願い。

バンドネオンでジャズ演奏


「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」
3月15日のコンサートではトリオ・ロス・エンバハドーレス(ヴァイオリン上野眞樹さん、ピアノ伊藤智恵さん)の演奏のあと、会場にいらした女性ジャズ・ピアニストに佐川峯さんが声をかけられ、ジャズ・ピアノのソロを聴かせてもらいました。
そのあとで、バンドネオンで演奏する人はほとんどいないと聞いているジャズの曲(相当長い)を佐川峯さんがソロ演奏されました。
バンドネオンがこれ以上伸びないところまで引き伸ばされたり、小さく縮められたり観ているだけでも圧巻でした。5−6名編成で聞き慣れたジャズの曲がバンドネオン一台とは思えぬ演奏、素晴らしかったです。
そういえば2003年9月新宿の朝日生命ホールでの演奏会でジャズ曲「ブルー・プレリュード」をソロで弾かれたのを聴いた人が「心拍数が上昇」「 シビれてしまった」との感想を書かれていたブログを読んだことがあります。 (3月15日のジャズ、「ブルー・プレリュード」だったのかも)
バンドネオンのジャズ、これからも聴ける機会がありますように。