2008年6月9日月曜日

佐川峯さん:タンゴの本場で卒寿公演



「炎のように」「魂のバンドネオン MiNE SAGAWA」


2009年秋、「卆寿」でアルゼンチン・ブエノスアイレスでバンドネオン演奏。
素晴らしい記事が出ましたねー。
ファンとしては嬉しくて仕方がありません。
一番バッター初回ホームランで記事がはじまります。

「あたし、今のところ、死ぬ予定はありませんから」の一言で聴衆がどよめき、「九十歳で引退するのをやめ、九十歳でスタートすることにしました」の一言に拍手がわく。予定の一時間を過ぎてなお弾こうとすると、すかさず花束贈呈。誰か止めなきゃ、この日の幕は下りない。
<中略>
十五歳の時、銀座で聞いたバンドネオンのとりこになり、「クラシック以外は退学処分」という音楽学校では隠れて練習した。二十一歳で大連に渡り、バンドに参加してプロの道へ。
<中略>
映画史、芸能史に残るスターたちとの逸話は数々ある。駆出し時代に「満州映画協会」のスター李香蘭の巡業に参加。「彼女が山口淑子(元参議院議員)という女優だと、戦後知ったんだよ」
「ブルースの女王」故淡谷のり子とも因縁めいた話がある。
戦前、大連で「坊や、私のバンドで弾いて」と誘われたが、一方で恩人には上海に誘われ、戦後、東京で偶然出会った淡谷に「坊や、約束を破ったわね」としかられた。今も人生の苦い教訓にしている。
<中略>
「佐川先生はきっと光を失い、力つき、死の直前までバンドネオンを離すことなく、(中略)ジャバラがひきちぎられ、床にひらひら舞い落ちてゆくまでバンドネオンを引き続けると思う」
かつてLPアルバムに備前焼作家の藤原雄さんから送られた一文だ。


ファンとしては「永久保存版」の記事です。